選択するということ。
『人生は日々の選択の積み重ねだ――』、そんな言葉をどこかで聞いたことがある。
確かに言われてみれば朝何時に起きるか、起きないか、そんなところから僕らは日々選択することを世界に、自分自身に強要されている。
じゃあ、「選択」ってなんなんだろうか。
たぶん一言で言えば「未来を捨てる」ことだと思う。
あの選択があるから今の僕がある。
でももしあのとき、あんな選択をしていたらどんな自分になっていたのだろうか。
それは「僕ではない」からわからない、あくまでも「予想」でしかないわけで。
そんな感情が後悔とか、悔しさとかそういったものに結びついているんじゃないか。
日々、そう思わない日はない。
でも些細な幸せが僕らの日常にはきっと待っていて、そんなちっぽけな希望を手にするために必死にあるべき未来を捨てているのかもしれない。
全部の選択は正しいし、間違っていると思う。
でも後悔や、悔しさは忘れるべき感情。
忘れなきゃいけない感情じゃないかとも思う。
悔しさをバネになんてよく言うけど、縮んだ瞬間に折れたら元も子もないから。
僕は日々、いろんなことを忘れて生きていく。
そんな器用な生き方はできないけど。
僕にとって夏は裏切りの季節なんて勝手に呼んでいる。
夏という季節は蒸し暑くて毎年無くなってしまえ、なんて勝手なことを言ってるけどきれいな季節だ。
だからこそ、人の汚さが見える。
それは他人だけじゃなくて、自分も含めて蜃気楼のようにぼやけてるけど確かにそこにある。
おかげでここ2年は他人と自分を心から信じられることなんてほとんど無くて、けっこう精神的に参った時期は本当に眠れなくて、睡眠薬に手を出した。
寝ればリセットできてとりあえずは大丈夫かななんて気がしてた。
裏切られたことをこんなネットの片隅に書くのはフェアじゃないし、一回それでお叱りも受けているのでここではよかったことを書きたい。
昨日と今日とちょっといいことがあった。
多分当人たちは少しも気がついてないだろうけど、僕にとってはとってもありがたかった。
だから直接言えなかった感謝の言葉で締めたいと思う。
ありがとう、多分これからも迷惑かけるけどよろしくね。
来週あたり焼き肉でも行こうや。