人が生きた記録。「余命10年」(小坂流加:文芸社文庫)
本当にどうでもいい話なんですが、僕はツイッターでよく見かける「ご冥福をお祈りします」という言葉が大っ嫌いです。
たぶんその人は本気で亡くなった人のことを思っているのかもしれないけれど、だからこそたった10文字で故人への思いを片付けてしまっていいのか、とても軽薄な言葉だといつも思っています。
いつもタイムラインに流れてくる訃報という文字を見るだけで、またあのテンプレートのように繰り返される嫌な文字列を見なきゃいけないのかと思うと憂鬱が加速する気がします。
なんでこんな話を書こうかと思ったかというと、今日もまた本を読んだからです。
久々に外に出て本屋に向かい、お目当ての本と一緒に買いました。
まあ僕はよくあるんですが、表紙絵とちょっとしたあらすじをみるだけでレジへ向かいました。
最近僕が買う一般小説は人が死ぬ話ばかりだなぁと気がついたのは、この記事を書き始めてからなんですがこの小説はそれまでに買った小説とは違いました。
まず本を読もうと表紙を開いて著者のプロフィールに目を通したんですが、作者の方が今年の2月に亡くなられていたということが書いてありました。
僕はまたこのパターンなのか、とつい思ってしまいました。
全くの個人的意見ではあるんですが、音楽とか文芸とかそういった分野で作者が死ぬと全くそれまでその作者を知らなかった人たちまでが感動を求めて作品に群がるような気がしてならないのです。
別にそのことは全然悪くないと思うし、新しい作品に出会えるというのは素晴らしいことだと思うんですが、なんだかもやもやした気分になります。
またそれが売り出しとかに使われてるのを見ると正直って悲しくなります。本はとうとうこういう売り方をしないと売れない分野になってしまったのだな、と。作品そのもので評価されることがないというのは大変な侮辱のような、そんな気持ちになります。
それでも本書はそんな気持ちをどうでもよくさせるくらいに、僕は好きです。
10年という余命、死を身近に感じてからの短いか長いかわからないその時間は残酷であり、美しくも感じました。
そして自分は病人でなく1人の人間として見られたいという小さな願い。
そんな壁と戦って生きる一人の姿が美しく、そして少しうらやましくも感じました。
表紙の女性の表情。
本を買う決め手だったのですが、どこかその表情は満たされたいと感じるような空虚な笑みを浮かべている顔にどうしても引き込まれてしまいました。
本書は恋愛小説らしいですが、僕には1人の人間の伝記小説にも思えました。