世界でいちばん透き通った物語
ここ数年、紙の本を買う機会は以前と比べてかなり減った。
理由は単純で、嵩張るからだ。
一人暮らしを始めた数年間は自分で使うことのできる金額なんてたかが知れていて、それまで図書館で読めていたものが読めなくなり、古本屋で新書と何冊かの専門書とともに購入した記憶だけが残っている。
そんな本たちも引っ越すにあたっては荷物の一部でしかなく、むしろ重量物であるがために苦労させられたという苦い経験から私は電子書籍派になってしまったのだ。
勿論紙の本を好きでいた私でもあったので、最初の頃は抵抗が無いわけではなかった。けれども時折開催される半額キャンペーン・ポイント還元セールなどといった甘い罠の魅力からはどうしても逃れ得ぬことができなかった。
なによりも発売日に確実に手に入れることができ、端末にダウンロードさえし終えてしまえばすぐに読める。暗いところでも読める。カーテンを締め切ったり、夜中に電灯もつけずに読書体験ができる環境は私にとって欠かせないものになっていった。
そんな中、作者の新刊が出るということでいつものようにAmazonの販売ページにアクセスした際、私は少し失望してしまっていた。
電子書籍版の表記がなく、紙のみの販売となっていたからだ。
すぐに読みたい、と思う気持ちが先走り有料会員特典を使い注文をしたが、少し時間を置くと「たまにはゆっくり時間を取って紙の本を読むのもいいかもしれない」と思い、今この記事を書いている二時間ほど前から読み始めた。
本書の内容については言及を避けざるを得ない。
言うまでもないが、内容的に不満があるわけではなく、先入観も何も持たずにただ物語に触れてほしいのだ。
表紙、帯、あらすじ、質感……。
実態のある情報を受け取って、少し心躍らせながら読むだけでいいのだ。
ただ可能ならば、本をめくり1度ページを読み進めたのなら、最後まで止まらずに読んでほしい。
久しく書店に足を運ぶ機会が減ってしまった私だが、あぁ、また本屋に足を運んであの空気感を感じ、レジまで運び、私のものとなる感覚とともに、表紙を開くまでの高揚感にまた触れたくなってしまった。
そんな作品だった。
秒速11.2メートルを目指して
高頻度更新を目指していたのに、前回の投稿から4年近く経ってしまった。
投稿しなかった理由なんて些細なものでしかなくて、投稿しようと思った理由も読者にとっては些細なものなのかもしれない。
けれども確かに、ずっと更新をしていなかったのにこうして記事を書き始めるとどことなく心が落ち着いていくような感覚に襲われるのは、それだけ自分の中に吐き出したいものがあって、それをようやく言語化することができ始めているんじゃないかと思うのだ。
大学を卒業して、社会人になって、いつの間にか世間一般から『大人』と呼称されるような年齢になった実感はほとんどない。
同年代が結婚してもそんなものか程度にしか思わないのと同時に、どこか自分だけ何周も遅れているような焦燥感に襲われる。
でもそんな自分に噓を吐いて、床に就き、朝起きる。
多分この繰り返しが『大人』なのかもしれない。
昔から好きな小説のキャラクターがこんなようなことを言っていた気がする。
「他人の人生を生きるために、僕は演技をするんだ」
自分はそんなに器用な人間ではないであろう。
でも、他人のあったかもしれない人生を本を通して体験することは今でも好きだ。
昔、幼心に描いた大人にはなれなかったかもしれない。
しかしそんなことはどうでもよくて、来るか来ないか、1秒後の未来なんて誰も知らない中で生きていきたい。
この一年半で自分を縛るしがらみが増えた。
忘れようと思っても、絶対に忘れることができないしがらみだ。
そんな宇宙のすべての質量よりも重く、どんなブラックホールよりも自分を放してくれない事実から逃げるためには、秒速11.2メートルでは遅すぎる。
光や重力よりも早く進まなくてはいけないのに、僕はまだ止まっているのかもしれないし、動いているのかもしれない。
芸劇ウインド・オーケストラ・アカデミー第4回演奏会に行ってきました。
ブログらしい記事を初めて書く気がする……。
3月3日、池袋の東京芸術劇場で行われた「芸劇ウインド・オーケストラ・アカデミー 第4回演奏会」に行ってきました。
演奏会を聴く機会は高校までは年1回くらいのペースであったけど、大学に入ってからはなかなかなくて久しぶりだったので結構楽しみでした。
演奏技術とか楽曲については全くの素人なのでその道の方々にお任せするとして、バニラな感想をちょこっと書いていこうと思います。
1曲目:ウィリアム・シューマン「ジョージ・ワシントン・ブリッジ」
今回はアメリカの曲を中心としたコンサートということでした。
題材のジョージ・ワシントン・ブリッジは、ル・コルビュジエが『世界で最も美しい橋』と称するほどの橋です。
プログラムノートに書かれているそのままになってしまうのですが、「橋の様々な表情が音にして表現されている」という言葉その通りにマンハッタンとニュージャージーを結ぶこの橋の様々な表情が思い起こされる曲でした。
最初の一音から引き込まれるという感じで、音の迫力だけでなく空気感まで橋のたもとから眺めているような気持ちになる演奏に思えました。
2曲目:ノーマン・デロ=ジョイオ「中世の旋律による変奏曲」
最初のトランペットの響きは、はっきりとしていて、でもどこか物悲しさを感じさせる音がたまらなく好きなってしまいそうでした。
13分という時間の中で、メロディーが次々と表情を変えるのは退屈させられず、終わらないでほしいという気持ちにさえしてくれました。
3曲目:サミュエル・バーバー(G.M.デューカー編曲)「交響曲第1番」
元はオーケストラ曲らしいのですが、僕が聴いたのは初めてだったのであまりどうとかということは言えないです。
とはいえ、ちょっと感想を調べてみると評価が高いようです。
4曲目:藤倉大「テューバ協奏曲」
世界初演のこの曲。
演奏者にエイスティン・ボーツヴィック氏を招き演奏されたこの曲は、チューバなのにチューバらしからぬ音色を奏でる演奏と掛け合いがずっと音楽の世界に引き込んでくるような曲でした。
特にチューバなのですが、素人から聴いても「これは本当にチューバなのか?」という疑問が生まれてしまうくらいの演奏でした。
この曲を作曲するにあたっては「テューバを活かした世界を書けるのは僕しかいない!」という気持ちで書かれたそうだが、本当にその言葉が過言ではないように感じた。
低音はチューバらしく、高音もきれいに響くという演奏で、某アニメキャラに「チューバの良いところはいいところがないところだ」というくらい地味なチューバが普段主演を務めるような他の楽器を食ってしまうくらいに、派手で、魅力的で、それこそ「溶けてしまいそうでした。
アンコール1曲目:エイスティン・ボーツヴィック「fnugg」
チューバアンコール。
なんか声が聴こえる!?というこの曲、これに関しては本人の演奏がYouTubeにあったのでぜひ聴いてみてほしい。
実際会場で聴いたときは声がもう少し大きく聞こえたくらいです。(個人的には僧侶をちょっと思い出したり……)
5曲目:レナード・バーンスタイン(P.ラヴェンダー編曲)「『ウェスト・サイド・ストーリー』より『シンフォニック・ダンス』」
ほぼ知識のない僕でも知っているこの曲。
語彙力のなさに「よかった」しか言えなくなってしまうくらいなのですが、個人的に面白いなーって感じたのはメンバーの指パッチンでした。
プログラムノートにかかれていたアメリカンな表現ですが、素人目にはミュージカルの場面が目に浮かぶようで23分間ずっと引き込まれっぱなしで、椅子に座っているのに少し疲れてしまったぐらいです。
アンコール2曲目:レナード・バーンスタイン「キャンディード序曲」
たぶん音楽全然知らない人でも聴けば知ってる!と絶対に言うであろうこの曲。
アンコールなのに序曲とはこれいかにと思ったのですが、どうやら18番のようでした。
でも終り方としては間違いなく晴れやかで、自信があって新しいステージへ向かうタイミングではいいなぁと思える演奏でした。
振り返って
今回は招待という形で、2階席の左端で聴いたのですが、普段一階席から聴いているのとはまた違って演奏者が上から見られるというのはけっこう新鮮な体験でした。
チケットも2000円という演奏内容からすると明らかに破格で、アクセスも池袋駅から5分で外を通らずにも行けるという好立地なのに、いかんせん人が少ないようにも感じましたが、実際どの数を販売しているのかわからないのでなんとも言えませんがもっと多くの人に聴いてほしいなぁとも思ったりもしました。
しかし、演奏は本当に素晴らしくて来てよかった!と思えたのでまた機会があれば他の演奏会にも足を運んで行きたいと思うくらいでした。
あとエイスティン・ボーツヴィック氏のCDが、お金がなくて変えなかったのは本当に悔しい……。(血涙)
ツッコミ入れるよりそのまま楽しんだほうが得じゃない?
タイトルそのままです。
ブログなんてTwitterのフォロワーでさえ見ないコンテンツなので、ちょっと話しづらいようなことも書けるのは幸せ!!
ということで、タイトルのお話。
まず前提として
僕はお気楽な人間なので基本的にハッピーエンドものが大好きです。
非常につらい現実世界からの逃避で、たのしい物語に触れたい!って気持ちよく分かるし、多分近年の俗に言う「なろう小説」が台頭している理由ってそんなことじゃないかと思うんですよ。
でも、決して不遇エンドとか不幸なオチとかが嫌いなわけじゃないんですよ。
なぜかといえば完結さえしていれば、それは1つのストーリーとして完成しきっているものだから。
でも最近ストーリーについて細かいツッコミする人多い…多くない…?
いやそんなこと昔からだったわ。
僕個人としては「自分が楽しめればそれでイイんじゃない?」って考えがあるんですよ。
そりゃあつまらないストーリーだってありますよ。
でもそこをわざわざツッコミを入れるまで読むとかそこまでは面倒くさがりの自分には無理です。
つまらない、自分に合わないと思ったらそこで見るのを辞めてしまえばそれで終りなんですよね。
じゃあ批評とかって意味ないの?
いやそりゃありますよ?
僕もアマゾンレビューとか読みますし、感想だって見ますよ。
でもその仕組って、ネットが一般化する以前では簡単には得られないし、批評する人もある程度の経験や実力があるからこそ、批評することが出来たと思うんです。
じゃあ何が言いたいかというと、ストーリーに対して「揚げ足取り」してるようなツッコミが個人的に大っ嫌いなんですよ。
実例! こんなレビューは嫌いだ!(個人的意見)
わかりやすく例で僕の嫌いなツッコミを書いていきたいと思います。
①:作者の人格否定
いやーこれはもう最低な部類です。
作者が評価されるのは創作物においてのみ、っていうのが基本だと思うんです。
作者がどんな人間のクズでも、作者の書くストーリーに感動したら読者の負けです。星5レビューを投稿しましょう。
やってることが芸能人の不倫報道レベルです。どうでもいい。
②:○○のパクリ!
だからなんじゃい!
オマージュってご存知ですか?
文章丸パクリはさすがにヤバイけど、そんなの滅多にないし、似たようなストーリー展開にすると大概売れないと思うんですけど……気の所為?
むしろオマージュの対象になるってことはその作者、あなたがパクリ元だと主張する作品好きすぎませんか?
③:文章力がない!
文章力ってなんだよ(哲学)
ざっくりとした批判すぎて作者のためにならない。
逆にお前が読解力無いんじゃないのかと疑われる原因になるレベルです。
中身がスカスカ!っていうのもちょっと……。
非建設的な意見は目にされない
レビュー投稿したり、ストーリーを考察して投稿するなら作者のためになるレビューを投稿したほうがお互いのためになる気がするんですよ。
「ここが良かったけどここが物足りない!」って書けば良いんですよ。
読者を感動させられなかったのは作者の責任ですし、それは評判とか売上って形で如実に現れるハズ。
それにさっきも上で書きましたが、「感動したら読者の負け」だと思っています。
感動しなかったのにその作品について感想を述べる時点で、その作品についてかなり気になってるはずですしどうせならもっとその作品がよくなって、僕らの負けが増えればいいと思うんですよ。
それに最近はなかなか難しいとは思うんですけど、気になったストーリーがあったらぜひ気軽に触れてほしいです。
それがきっかけになって、自分の何かを変えるかもしれないし。
自分はなんでも楽しめるタイプなので、オトクな人間だなとか思ったります。
深夜テンションでこんなブログ記事を更新するのも、ちょっと書きたいなって思わせる物語にであったからだったりもします。
夜寝れないからブログを更新する
最近、いろいろなことをやらなくちゃいけないっていう強迫観念みたいなものを感じる。
それを分類してみると、絶対にしなきゃいけないことと、別にしなくてもいいことの2つになった。(当然だけど)
「絶対にしなきゃいけないこと」はやらざるを得ないからやるっていうのはモチベーションが低くなりがちってよく聞くけど、そんなこともない。
やらなくて済むならやらずに終わりにしたい、けどやると以外に楽しいっていうこともある。
でもやらずにいるとそれはなんて面倒なことなんだろうか、という思いしか抱けないから結局「絶対にしなきゃいけないこと」なのにやらずになってしまう。
好き嫌いはあると思う。
けど、最初からそれをやらなくちゃいけないのに、逃げられないのに、なぜ逃げてしまうのかがよく理解できない。
モノをやり遂げればなんだかんだで達成感はあるし、身につくこともあるかもしれない。
それを自分から約束しておいて、やらないっていうのはどうかと思う。
じゃあ自分にそれがなかったか、と聞かれると黙ってしまうほかないけど。
「やらなくてもいいこと」
これは大概自分に降り掛かってるけど、放置してもいいこと。
でもやったほうがいいに決まってるのはわかっている。けどやる気が出ないのは何故だろうか。
たぶんそれは自分の中で一線を引いてるから。
どこか冷めてる自分が居て、でもどこかに熱い自分もいる。
あと、見えてる結果があまり良いことじゃないとき。
あえてその選択肢を選んで地獄へいくか、緩やかな死を迎えるか。
早いか遅いかの違いしかないかもしれないけど、僕はゆっくりのほうがいいなって思ったりするけど、素早さも必要だったり。
結局、今必要なのは時間なのかもしれない。
いろいろなことをしていく時間で、今までよりどう有効に使っていくか。
残された時間は短いけど、やれるだけやっていこう。