たかいところが苦手

低いところから気分でいろいろ書きます。

他人との付き合いって難しいよねって話と本の感想と自分が思っていること。

 『蓮見律子の推理交響曲 比翼のバルカローレ』を読んだ。

 名探偵と助手。

古今東西そんなワードを聞くと多くの人は、シャーロック・ホームズ氏とジェームズ・ワトソン氏という普遍的な組み合わせにたどり着くだろう。

これ以降のシャーロック・ホームズについての薀蓄はお使いの端末や、シャーロキアンの諸氏にお任せするとしてつらつらと、感想にも満たないような思ったことを書いていこうと思う。

 

作者の杉井光氏を知る人には今更だろうが、彼の著作には音楽に関係するものが多い。

ここではあえてそれらの作品群を列挙することはないが、まあ音楽が好きだということは分かってもらえるだろう。

自分が彼の作品に初めて触れた時の著作も音楽モノでタイトルを「さよならピアノソナタ」という。

 元々クラシックと洋楽がそこそこ好きだった自分にとっては、ドンピシャな作品で今でもふと思い出して深夜に読み返すことがある。

良くも悪くも彼の作風が反映されていて、また好きな人は好きな作品だと思う。

そんな作品を読んで「著者:杉井光」という作品を書店で見かけると、財布の中身と相談しながらではあるがまあ買ってもいいかなと自分の中で思える文章書きの1人である。

 

今作はそんな彼の音楽と推理モノというまあ想像できそうなジャンルであることには変わりないが、悪く言えばつまらない良く言えば期待を裏切らない作品であると思う。

作品の雰囲気としてはブックマートの金狼を読んでる最中に思い出した。 

 キャラクター達の会話劇はいつもの彼の作品で、ちょっとにやけてしまった自分がなんか悔しくも懐かしく感じた。

そしてこの作品読んでいる最中は思ってもいなかったのだが、最後まで読むとなんとなくシャーロック・ホームズを思い出した。

才能があるが社会不適合者である「名探偵」と社会の爪弾き者だが常識のある「助手」という組み合わせ。原典というよりかは、ドラマ版のSHERLOCKのほうを思い出すのは私だけだろうか。

もしかしたら最近最新シーズンをみてその影響が抜けきっていないからかもしれないことが否めないので、あまり自信はない。

けれども、王道的な組み合わせは王道的な物語を生み出し読了後は続きが読みたいという気持ちにさせられるのはさすがだと感じた。

 

ここからは全くの余談なのだが、杉井光という人物を某大手検索サイトで検索しようとするとある作家の名前がでてくる。

彼と彼との確執はここでは述べないが、私は彼に好きな作家の名前を彼と言ってしまったことがある。

なぜそんな軽率な行為をしてしまったかといえば、その当時はその出来事を知らなかったというだけなのであるが、数カ月後にその時の彼の行動がどうしても気になって検索すると様々なページが出てきてとても青ざめた記憶が未だに脳裏から離れない。

その後しばらくすると、某巨大掲示板からの個人情報の流失が彼のした行為が露見する結果となり大いに荒れた。

その行為についてもここでは触れないが、多少失望したような覚えがある。

いまでもその事件の影響で彼の作品のレビューには低評価とともに彼を貶すコメントがよく見られる。

だが私がそれを目にする時に思い出すのは、私が大恥を後から思い知ったときの彼の言葉である。

『作家にまともなやつなど居ない。私は一般人なので筆を折ろうと思う』

そう彼は言ってのけたのである。

完全な一般人の私はその言葉を聞いてなにを思ったのかというと単純で、彼も十分まともではないという思いだった。

 

人という生き物は何かに感動したり、悲しんだりしながら生きている。

感情を揺さぶられる元凶は、ヒトの作り出すものである。

人間と人間の相互理解の難しさは私も日々生きながら試行錯誤のなかに居るが、作家という作品を通してしか知ることの出来ない存在を理解しようとする時に、彼らの作品だけでは明らかに足りない。

その不足は間違いなく幻想という誤解を生み出し、読者は作者にその幻想を押し付けがちに思う。

しかし相手もヒトなのである。

自分の思い込みが裏切られることなど数え切れないほどあるなかで、芸術作品に身を窶した作家という人間はまともではないと私は思う。

 

別に彼を擁護する気は毛頭ないのだけれども、そんな押し付けがましい思いは相手だけではなく自分も不幸にすることが多く不毛な結果しか生まないということをいつも思い知らされている。

生み出したものと生み出した本人、親と子が違う人間であるようにそれは全く異なるものである。

だから私はそれぞれを別々に評価していきたいと思う。